一人旅の食事
一人旅は楽しい。相手に気がねせず、自由に行動できる気ままさ。私は旅行に行くなら断然一人がいいと思っている。
だけど、旅先で食事をするときに限っては、誰か一緒だったらいいのにと思う。
その土地の名物料理を味わうのは、言うまでもなく旅の楽しみの一つ。しかし一人旅の場合、それがなかなかどうして難しい。
たとえばニューヨークに行ったとして、マンハッタンの高級レストランに一人で入ってフルコースのディナーを注文する気にはなれないし、イギリスを訪れて、伝統的なアフタヌーンティーを試すなんてことも、やっぱり一人じゃ恥ずかしくて無理。(で結局、安い屋台でケバブとかフィッシュ&チップスとかテイクアウトして、ホテルの部屋でさみしくぱくつく、と。)
様式的な食事は、2人以上の人数を想定している気がする。食事を楽しむということは、食べることそれ自体より、料理を介して会話を楽しむということなのかもしれない。
そう、だから一人でする食事は落ちつかない。むなしい。たとえるなら、ツッコミのいないボケ役になったような、あるいは誰かと2人だけでカラオケに行って、自分が歌ってる最中に相手がトイレに行ってしまったときのような(実体験)、そういう間の悪さがあるのだ。
そういえば私、昔、やはり一人旅で岩手へ行ったとき、「せっかくだから地元の名物料理を」と思って、あの「わんこそば」にトライしてみたことがあった。一人で(笑)。店員さんが側にひかえて、おかわりのそばを次々とお椀につぎたしてくれるのだが、お互い終始無言で(こっちが必死に食べてるからね)、とっても気まずかったのを憶えている。あのとき私はまだ10代だったな。若かった。
Posted by mik at 02:35 AM
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ピピ島の思い出 (6)
ピピ島旅行から帰ってきたあと、私の中の「ビーチリゾート熱」は急になりをひそめてしまった。いっときは半年に3度というハイペースでバリだのサムイだのへ出かけて遊んでいたほどだったのに(散財した)、それほど強く「南の島」に惹かれることは、もうなくなった。
理由は、ひとことで言ってピピ島がすばらしすぎたからだ。
私はピピ島での休日に心から満足した。おおげさに聞こえるかもしれないが、私にとってピピ島以上のリゾートはなく、世界中の他のどのビーチもピピ島に劣る気さえした。次に行くのもピピにしよう。だけど、初めて訪れたときと同じ感動はもう2度と味わえないのだろうな。だとすれば、あれは最高の夏休みだった。…
旅行から1年経って、あのすばらしい数日間を思い出していた矢先に、今度の災害でピピ島は酷いことになってしまった。被災した現地の人たちの苦難を思うと胸が痛む。ニュースの画面で見守ることしかできないけれど、1日も早い復興を祈る。せいぜい義援金など寄付させていただこうと思う。
Posted by mik at 01:01 AM
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新聞でピピ島の惨状を知る
朝刊の一面にピピ島の写真が載っていた。倒壊した家屋の写真も。ピピ島だけで300人死亡とか。まさか。信じられない。
Posted by mik at 01:44 PM
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ピピ島の思い出 (5)
ピピ島は、つまり大自然の懐だった。旅行中、私は海の中で、山の奥で、星空の下で、いろいろなことを考えた。
満天の星空を見たときにロマンチストは「宇宙の大きさに比べたら自分の存在がちっぽけに思える」なんて言ったりするけど、ピピ島の大自然の中で私が思ったことは、都市生活とのスケールの違いだった。
ああいう大自然の中では、都市で暮らす私たちが日頃さらされている文明的な価値観、たとえばコマーシャリズムや物質主義、それを煽る魅力的な惹句、そういったものが何の力も持ち得ない。お金ではない。モノではない。手に入らない。その風景が美しいとたたえることさえ、その事実に届かない。あの岩山のような、ただ圧倒的なだけの事実。それ以上の意味づけはない。(つづく)
Posted by mik at 02:34 AM
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ピピ島の思い出 (4)
海の美しさは、噂にたがわず凄かった。
島に滞在中、シュノーケリングツアーに参加した。私はスキューバ・ダイビングはやったことがないし、実はシュノーケリングもそれが初めての経験だったからなおさら、アクアリウムのように美しい海にとにかく感動した。
水は空気のように透明で、海面下をのぞくと自分の体のはるか下何十メートルかのところに海底が見えた。その無色の空間を、熱帯魚の群れが鳥のように自由に泳ぎ交っている。何だか自分の体がゼラチン質の宙を浮遊しているような、そんな感覚だった。
当然ながら私たちは陸上で生活しているから、陸の終わりにあたる海は生活圏外、すなわち「いきどまり」だと思っている。しかし海面をへだてたその下には、小宇宙とでも呼ぶべきどこまでも広くて深く、生命に満ちた別世界が存在している。そこは神々しいまでに美しく、しんと静まり返っている。(つづく)
Posted by mik at 09:17 AM
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ピピ島の思い出 (3)
島での主要交通手段は船だったから(自動車は島内に1台もないとか)、滞在中は何度も乗った。
船で島のそばを通過するとき、甲板の上から間近に見上げたその姿は壮観だった。
海面からいきなり垂直に屹立する巨大な岩山。てっぺんまでの高さは目測で50メートルから、高いものだと100メートルくらいはありそうだった。むきだしの岩肌は粗く、猛々しい印象を受ける。
海底の隆起によるものか、それとも波と風雨が少しずつ岩盤を浸食していったのか。いずれにせよ、これだけの地形が形成されるのにかかった年月の長さを思うと、気が遠くなった。(つづく)
Posted by mik at 09:15 AM
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インドネシア沖で大津波
ピピ島の思い出をこのブログに綴っていたら、例の大津波のニュース。プーケットでは壊滅状態のエリアもあるというから、あの小さな島の被害も相当なものに違いない。いま混乱と落胆と悲嘆のさなかにいると思われる、島の人たちのことを想像すると胸が痛む。
あの平和でのどかな、美しい島が。
Posted by mik at 02:03 AM
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ピピ島の思い出 (2)
ピピ島は、地質的には急峻な岩山だ。海から垂直に切り立った断崖絶壁とその頂を覆うジャングル。太古の地球を思わせる、そんな景観の場所。いまにも頂の向こうから恐竜がひょっこり顔を出して、目の前をのっしのっしと歩いていきそうな雰囲気だった。
島のほとんどのエリアはそんな感じで、観光客向けの宿泊施設や島民の住宅などは、浜辺のわずかな平地に密集している。急峻な岩山の島に陸路はなくて、タクシーボートと呼ばれる原動機付きの素朴な木製の舟が、海岸沿いに点在する集落と集落をむすぶ唯一の交通手段だった。(つづく)
Posted by mik at 05:19 AM
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ピピ島の思い出 (1)
去年のちょうど今頃は、ピピ島への旅行準備をしていた。
ピピ島は、タイ・プーケットから南、船で2時間ほど行ったところにある小さな島。あの頃なぜかビーチリゾートに傾倒していた私は、海の美しさで知られるその島へ1度行ってみたくて仕方なくなり、同僚の協力を得て翌1月になかば強引に連休を作りだし、旅行を決行することにしたのだった。
熱帯の国の空気は発酵している。温暖な気候の土地から行くからそう思うのだろうが。飛行機で熱帯の国に到着して地上に降り立つとき、私はいつも、自分の体を包み込む強い熱気と、これから始まる夏休みへの期待との相乗効果で気分が高揚して、幸福に酔っぱらう。上機嫌になり、笑い上戸になる。南国の空気は、そこで休暇を過ごす旅行者を少なからず酔わせると思う。
ピピ島での休日は、じっさい、素晴らしかった。(つづく)
Posted by mik at 10:59 AM
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旅行に行きたい
世間では夏休みなのですね。今年は休暇を取得するのが難しそうな私は、指をくわえて眺めてますよ。ええ。
うちは成田空港が地理的に近くて、離陸したばかりの飛行機が、まだ低い高度で空を横切っていくのがよく見える。あの機体の中は、これから始まるバケーションに心踊らせた観光客でいっぱいなんだろうなあと思うと、ジェラシーを感じる。
1年に1度くらいは、ガス抜きのための長期休暇と旅行が、会社員には必要だ。と、心の中で主張してみる。
今もし休みがとれるなら、行ってみたいところ → 台湾。ネパール。チベット。トルコ。北欧。バリのウブド。沖縄。もう1度タイ。
Posted by mik at 11:14 PM
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